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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 パルヌ

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スィグルダを出ると、バスはリーガ湾沿いの道に進みました。

海の眺めを期待したのですが、道路は木立に遮られたり、少し内陸部を走ったりで、展望は開かれませんでした。

これは、河口部を通って、珍しく海の眺めが開けたところです。



ラトヴィアとエストニアの国境に出ました。行きに通過した内陸部の国境は知らずに通過してしまいましたが、ここには通管のための建物は残されていました。ただ、同じEU加盟国になって建物も使われなくなっており、荒廃が進んでいました。



エストニア側に入ったところで、トイレ休憩になりました。



エストニア側の建物は、道路ステーションになっていました。



売店を見ていて、面白い飲み物を見つけました。「Hello Kitty Star Drink」という名前のようで、ピンク色の炭酸飲料のようです。飲んでみるべきでした。

海外でのハローキティの人気には驚かされることがあります。



パルヌに到着しました。パルヌは、13世紀に騎士団に占領された後はバルト海に面した重要な拠点になり、ハンザ同盟にも加盟していました。現在は、夏のリゾート地になっていますが、見所はそう多くはなく、ロング・ドライブ途中の休憩を兼ねての散策地として訪れました。



街には、夏のシーズン前の静けさがただよっていました。





エリザベート教会が見えてきました。



ロシアの女帝エリザベータが資金を出して1744年に建設が始まりました。



かつて大聖堂の火災から奇跡的に焼け残ったパルヌのシンボルの黒い十字架のレプリカが架けられるといいますが、なにか行事が行われており残念ながら内部には入れませんでした。





先に進んでいくと、タリン門が現れました。





門を通り抜けて振り返ったところ。

タリン門は、かつて三つあった城門の一つです。かつては、商人はタリンから船でやってきて、ここから市内に入りました。



門を出た所にある運河は、昔は港であったのでしょう。



イベントの後なのか、民族衣装を着た風格のある男女がいたので写真を撮らせてもらいました。



タリン門を通って市内に戻りました。夏に備えてなのか、レストランの壁に絵を書いていました。



歩いていくと、エカテリーナ教会が現れました。

エカテリーナ2世の命令により、1764年に建て替えられた教会です。





通りを歩いてバスに戻りました。



バスが走り出すと、港の眺めが広がりました。

タリンまでもうひと走りです。

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