ラトビアの首都のリガには、7時過ぎに到着。移動距離が長い割には道路が良く整備されており、順調な移動でした。
ラトビアには、バルト三国周辺の異教徒達を服属させカトリックに改宗させることを目的として、13世紀初めに僧正アルベルトによって率いられたリヴォニア帯剣騎士団が進攻しました。リガは、この騎士団の本拠地として整備されたのが始まりです。
リヴォニア帯剣騎士団は後にドイツ騎士団に吸収合併されますが、宗教改革の結果騎士団は弱体化し、この後はポーランド・リトアニア連合国、スウェーデン、ロシア帝国によって支配されていくことになりました。
第一次世界大戦後に独立を宣言しましたが、ソ連に併合。第二次大戦中にはナチス・ドイツに併合され、大戦末期にはソ連が再占領。1991年8月21日に独立宣言を行い、諸外国からの国家承認もなされて事実上の独立を達成しました。
市街地に入ると、立派な建物が並んでいましたが、像やレリーフなど建物の装飾が目立っていました。
アレクサンドル・ネフスキー教会のようです。
新市街地のレストランで夕食をとった後に、デイズホテルベフにチュックインしました。このホテルには、リトアニアのビリニュスまで南下した後に戻ってきて、再度宿泊することになります。
観光の中心になる旧市街地まで遠いのは残念でしたが、すぐ脇にショッピングセンターがあり、買い物ができました。
三日目は、リガの市内観光ということで、まず中央市場に向かいました。
これはショッピングセンターを併設したリガ駅です。
駅の向こうに、モスクワで見かけるスターリン・クラシック様式の高層ビルが威圧的に聳えていました。現在では、科学アカデミーの建物になっています。
スターリン・クラシック様式の高層ビルは、スターリンの意向によって、ソ連では1933年から1955年の間に建てられました。社会主義の発展と革命の達成を摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙ったものとされています。ソ連と東ヨーロッパ諸国をはじめとする共産主義国家で、この洋式の建物が見られます。
ダウガヴァ川の川岸に出ました。
煉瓦造りの倉庫が並んでいました。
中央市場は、このかまぼこ型の建物に入っています。
かまぼこ型の建物が並んでおり、それぞれ、魚、野菜、肉など売り場が分かれています。
この中央市場は、20世紀初頭に造られ、当時ラトビア国内にあったドイツのツェッペリン型飛行船の格納庫が移転されて用いられています。なお、世界遺産にはリガの旧市街地の歴史地区とともにこの中央市場も含まれています。
市場の中に入ると、魚売り場が広がっていました。
生の鮭が売られていました。
燻製の魚も多く見られました。
日本では見かけない燻製の魚が並んでいました。
試しに買って帰りたいところですが、旅の序盤とあっては諦めるしかありません。
続けて野菜売り場。
豊富な野菜が並んでいました。旅行中の食事でも前菜はサラダということが多かったです。
肉類の売り場。ドイツの影響の強い国なので、ハムやソーセージも種類豊富です。
生肉の売り場。
スパイスとドライフルーツの売り場。
チーズ売り場。
見学していると何か買いたくなり、結局干しアンズを買ってしまいました。家でアンズジャムを作るつもりです。
外に出ると、近くの鉄橋を列車が通過していました。近郊を結ぶ列車のようです。
バスに戻ってダウガヴァ川の川岸を走っていくと、像が置かれていました。川の方を向いており、これは裏側からの眺めです。
「クリストファーの像」と呼ばれ、巨人クリストファーは川の渡し役でしたが、ある夜彼が運んだ子供が翌朝には黄金になっており、そのお金でリガの町が創設されたという伝説が残されています。
また、川岸に設けられたリガ港には、バルト海クルーズ船が停泊していました。Costa Pacificaで、2009年4月就航、総トン数 114,500トン、乗客定員3780人です。
リガ港は、リガ湾からダウガヴァ川を遡ったところにありますが、このような大型船も入ってこられるということは、昔から良港として使われていたのでしょうね。
ラトビアには、バルト三国周辺の異教徒達を服属させカトリックに改宗させることを目的として、13世紀初めに僧正アルベルトによって率いられたリヴォニア帯剣騎士団が進攻しました。リガは、この騎士団の本拠地として整備されたのが始まりです。
リヴォニア帯剣騎士団は後にドイツ騎士団に吸収合併されますが、宗教改革の結果騎士団は弱体化し、この後はポーランド・リトアニア連合国、スウェーデン、ロシア帝国によって支配されていくことになりました。
第一次世界大戦後に独立を宣言しましたが、ソ連に併合。第二次大戦中にはナチス・ドイツに併合され、大戦末期にはソ連が再占領。1991年8月21日に独立宣言を行い、諸外国からの国家承認もなされて事実上の独立を達成しました。
市街地に入ると、立派な建物が並んでいましたが、像やレリーフなど建物の装飾が目立っていました。
アレクサンドル・ネフスキー教会のようです。
新市街地のレストランで夕食をとった後に、デイズホテルベフにチュックインしました。このホテルには、リトアニアのビリニュスまで南下した後に戻ってきて、再度宿泊することになります。
観光の中心になる旧市街地まで遠いのは残念でしたが、すぐ脇にショッピングセンターがあり、買い物ができました。
三日目は、リガの市内観光ということで、まず中央市場に向かいました。
これはショッピングセンターを併設したリガ駅です。
駅の向こうに、モスクワで見かけるスターリン・クラシック様式の高層ビルが威圧的に聳えていました。現在では、科学アカデミーの建物になっています。
スターリン・クラシック様式の高層ビルは、スターリンの意向によって、ソ連では1933年から1955年の間に建てられました。社会主義の発展と革命の達成を摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙ったものとされています。ソ連と東ヨーロッパ諸国をはじめとする共産主義国家で、この洋式の建物が見られます。
ダウガヴァ川の川岸に出ました。
煉瓦造りの倉庫が並んでいました。
中央市場は、このかまぼこ型の建物に入っています。
かまぼこ型の建物が並んでおり、それぞれ、魚、野菜、肉など売り場が分かれています。
この中央市場は、20世紀初頭に造られ、当時ラトビア国内にあったドイツのツェッペリン型飛行船の格納庫が移転されて用いられています。なお、世界遺産にはリガの旧市街地の歴史地区とともにこの中央市場も含まれています。
市場の中に入ると、魚売り場が広がっていました。
生の鮭が売られていました。
燻製の魚も多く見られました。
日本では見かけない燻製の魚が並んでいました。
試しに買って帰りたいところですが、旅の序盤とあっては諦めるしかありません。
続けて野菜売り場。
豊富な野菜が並んでいました。旅行中の食事でも前菜はサラダということが多かったです。
肉類の売り場。ドイツの影響の強い国なので、ハムやソーセージも種類豊富です。
生肉の売り場。
スパイスとドライフルーツの売り場。
チーズ売り場。
見学していると何か買いたくなり、結局干しアンズを買ってしまいました。家でアンズジャムを作るつもりです。
外に出ると、近くの鉄橋を列車が通過していました。近郊を結ぶ列車のようです。
バスに戻ってダウガヴァ川の川岸を走っていくと、像が置かれていました。川の方を向いており、これは裏側からの眺めです。
「クリストファーの像」と呼ばれ、巨人クリストファーは川の渡し役でしたが、ある夜彼が運んだ子供が翌朝には黄金になっており、そのお金でリガの町が創設されたという伝説が残されています。
また、川岸に設けられたリガ港には、バルト海クルーズ船が停泊していました。Costa Pacificaで、2009年4月就航、総トン数 114,500トン、乗客定員3780人です。
リガ港は、リガ湾からダウガヴァ川を遡ったところにありますが、このような大型船も入ってこられるということは、昔から良港として使われていたのでしょうね。