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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 モスタル その2

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スターリ・モストを渡った先は、アラブ世界に迷い込んだようなバザールが続きます。



石畳の道が続きます。



川に沿って延びる道は、起伏もあって、それが眺めを良くしています。



眺めの開けたところで、スターリ・モストを振り返りました。





通りを進んでいくと、コスキ・メフメド・パシャ・モスクの前の広場に出ました。



モスクの前には、礼拝前に手足を洗う泉も設けられていました。



有料ですが、モスクに入ることができました。メッカの方向を示すミフラーブや説教壇のミンバルも設けられていました。



礼拝堂はドームに覆われていました。



簡素ですが、美しい造りです。



ミナレットに登ると、モスタルの街の眺めが広がりました。スターリ・モストの展望台です。



川に沿って延びるバザール。



モスクの脇にも展望台が設けられていました。有料ですが、モスクの入場料はここも含んでいます。スターリ・モストを目の高さで眺めることができました。



土産物屋をのぞきながら引き返しました。



土産物屋の内容は、トルコ旅行で見たものとほとんど同じです。トルコから運んできているようです。





象嵌細工の店がありました。



ここで、トレーを買いました。スペインのトレドでも同じようなものを売っていましたが、そこでは買う暇がありませんでした。





スターリ・モストのたもとには、ボスニア紛争時の写真の展示室が設けてありました。中では紛争時に撮影されたビデオも上映されており、スターリ・モストが砲撃によって崩れ落ちるさまには、思わずああというため息が出てきてしまいました。



そこで購入した写真集より。

1993年10月。砲撃から守るため、橋の中央にはタイヤがつるされています。



1993年11月。砲撃によって橋は完全に崩れ落ちてしまっています。

写真集には、他にも砲撃にさらされて破壊された橋の写真が載っているので、モスタルを訪れた際には、是非購入してください。



スターリ・モストのたもとには、「1993年を忘れるな」と書かれた石が置かれていました。



土産物屋では、銃弾を加工したボールペンを売っていました。



これは銃弾を組み合わせて造った戦車の模型。

日本人の感覚ではどうなのだろうと思ってしまい、買えませんでした。商魂のたくましさと思ってあげるべきなのでしょうね。



スターリ・モストは、バスに戻って昼食のレストランへの移動時にもう一度眺めることができました。



モスタルの街中には、廃墟になった美術館がそのまま残されていました。



街なかで見かけた途切れた線路。昔は路面電車が走っていたのでしょうね。



モスタルの今は、銃弾が撃ち込まれた壁の前に花が飾られているこの写真が良く現しているように思えます。

紛争によって破壊された街もようやく復旧し、観光客もアラブ風の異国情緒を味わうために訪れるようになってきています。この銃痕を残すのかどうかは判りませんが、観光地として発展していくことを願います。

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