ネウムの街を過ぎると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナから再びクロアチアに入国しました。
ペリェシャツ半島の付け根が近づいてくると、山の斜面に長く続く城壁が見えてきました。、
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湾には牡蠣の養殖筏が浮かんでいました。この後のストンでの昼食時に生牡蠣を味見することになりました。
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ストンの街に到着。ここで昼食をとってからドゥブロヴニクの見学を行うことになります。
この街の紀元はローマ時代に遡りますが、ラグーザ共和国(ドゥブロヴニク共和国)の領域となったことでこの街や要塞が築かれました。
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城壁は山越えをした先のマリ・ストンの街まで続いています。14世紀から16世紀にかけて造られた城壁は5kmの長さに及び、ヨーロッパではイギリスにあるハドリアヌスの長城に次ぐものになっています。
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街の入り口にも要塞が築かれていました。
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小さな街でしたが、古い建物が並んでいました。
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観光客向けのレストランが並んでいます。
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昼食後の自由時間に塩田を見に行きました。
広場にあるのは、街のお役所のようです。
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広場を通り抜けて、街の外に出ます。
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車道を挟んだ向こうに塩田が広がっていました。
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天日塩田が設けられていました。
ここの塩田で作られた塩は、ドゥブロブニクの最も重要な収入源となっていたといいます。
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塩を積んだトロッコが置かれていました。
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入り口で塩を売っていたので土産に買いました。
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塩田の街中に戻りました。
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最後に城壁の眺めを楽しみました。城壁に上がる時間が無かったのは残念でしたが、この後に旅のメインであるドゥブロヴニク観光が控えているとあっては仕方がないですね。
ペリェシャツ半島の付け根が近づいてくると、山の斜面に長く続く城壁が見えてきました。、

湾には牡蠣の養殖筏が浮かんでいました。この後のストンでの昼食時に生牡蠣を味見することになりました。

ストンの街に到着。ここで昼食をとってからドゥブロヴニクの見学を行うことになります。
この街の紀元はローマ時代に遡りますが、ラグーザ共和国(ドゥブロヴニク共和国)の領域となったことでこの街や要塞が築かれました。

城壁は山越えをした先のマリ・ストンの街まで続いています。14世紀から16世紀にかけて造られた城壁は5kmの長さに及び、ヨーロッパではイギリスにあるハドリアヌスの長城に次ぐものになっています。

街の入り口にも要塞が築かれていました。

小さな街でしたが、古い建物が並んでいました。


観光客向けのレストランが並んでいます。

昼食後の自由時間に塩田を見に行きました。
広場にあるのは、街のお役所のようです。

広場を通り抜けて、街の外に出ます。

車道を挟んだ向こうに塩田が広がっていました。

天日塩田が設けられていました。
ここの塩田で作られた塩は、ドゥブロブニクの最も重要な収入源となっていたといいます。

塩を積んだトロッコが置かれていました。

入り口で塩を売っていたので土産に買いました。

塩田の街中に戻りました。

最後に城壁の眺めを楽しみました。城壁に上がる時間が無かったのは残念でしたが、この後に旅のメインであるドゥブロヴニク観光が控えているとあっては仕方がないですね。