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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 プーラ

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イストラ半島見学の最後にプーラにやってきました。

イストラ半島の南端にあるプーラは、ギリシャ神話のイアソンとメディアが奪った黄金の羊毛を取り返しにきたコルキスの民が築いたという伝説の残る町です。ローマ時代には交易の中継地として栄え、3000年の歴史を持つアドリア海東岸最古の町として古代から行政の中心地になってきました。

街に入ってまず目に飛び込んできたのはローマ時代の円形劇場です。



この円形劇場は、紀元1世紀に建造されたといいます。



残念ながら中には入らず、外からの見学のみ。

長径130m、短径100mで、往時には25000人を収容できたといいます。現在でも5000人収容可能で、オペラやコンサートの会場として使われているようです。



このカードは、スプリットの街でネクタイの本家ブランドのクロアタ社が配っていたもので、2003年9月にこの円形劇場をネクタイに見立てた布で巻いたイベントの写真です。実際には、ネクタイの端が手前の広場の方に長く伸びていたようです。

長さ808mの赤いネクタイが巻かれ、ネクタイの長さ世界一としてギネス世界記録に認定されたとか。ギネス世界記録も陳腐化していますがね。



旧市街に向かうと、まずふたご門が現れました。



城壁に沿って時計周りに進んでいくと、ヘラクレス門が現れました。



さらに進むと、紀元1世紀に建てられた凱旋門スタイルのセルギイ家のアーチの前に出ました。ここが旧市街地への入り口になります。



アーチを通り抜けてから振り返ったところ。



こちら側の方が、アーチの上の天使の飾りが良く残されています。



セルギイ家のアーチの脇の家のテラスに銅像が置かれていました。銘板をみると、ジェイムズ・ジョイスの像でした。

ジェイムズ・ジョイスは、「ユリシーズ」や「ダブリン市民」で知られるアイルランドの作家です。ジョイスのすべての小説の舞台やその主題の多くがアイルランドでの経験を基礎としているので、アイルランド内に住み続けていたように思っていましたが、青年期以降の生涯の大半を国外で過ごしていたのは意外でした。ジョイスは、当時はオーストリア・ハンガリー帝国領だったプーラで半年ほど教職についていたことがありました。



旧市街のメインストリートは、中央の丘の麓を一周するようにカーブしながら続いています。





プーラは、観光客だけではなく地元民も多く、落ち着いた雰囲気の街でした。





中心広場のフォーラムに出ました。



これは市庁舎。



その左手にはアウグストゥス神殿が残されていました。

紀元2〜14年にかけて、初代ローマ皇帝アウグストゥスの治世を称えるために造られたものです。コリント式の円柱が印象的です。神殿は、後に教会、食物の貯蔵庫などに使われてきました。



市庁舎は、ディアナ神殿のあった場所に建てられており、背後に回ると遺跡の跡が残されています。



メイン通りからは丘の上に小路が分かれていました。



歩いていくとカテドラルが現れました。4〜5世紀に建てられ、建材の一部には円形劇場から持ち出した石材も使われているようです。



プーラはローマ時代の遺跡の上に造られた街のため、掘ると遺跡が出てくるようです。この空き地も、建設工事の途中に遺跡が発見されたため、工事が中断したままになっています。



駐車場近くに戻ってきたところにあった、プーラの街の模型。

写真の上に円形の旧市街地があります。中央の丘の上にカステルと呼ばれる城塞跡があるのですが、見学できなかったのは残念です。

プラーの見学を終えてバスに戻ろうとすると、激しいにわか雨が降ってきました。この日以後、観光にはほとんど影響はなかったものの不順な天候が続きました。バルカン半島内陸部のセツビア方面では、15日から始まった記録的大雨によって甚大な被害が生じたようです。

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