城跡からひと下りした台地に礼拝堂が立っていました、
建物の中を覗くと屋根は無くなっていました。
この山を中心にするトレッキングコースが設けられているようです。踏み跡を辿って大岩の転がる高みに進んでみました。
下り斜面にかかる所で、崖から転げ落ちそうに、球状の大岩が平らな岩の上に乗っているのを見つけました。
なかなかの奇観なので、この岩に名前が付けられているかと思ってネットで画像を探してみましたが、見つかりませんでした。
これと同じような岩が尾瀬ヶ原の北に位置する平ヶ岳にあり、玉子岩と呼ばれています。平ヶ岳の標高は2141mでさほど高くはありませんが、アプローチが長く山頂部に宿泊施設もないため、登り7時間、下り5時間の長丁場(実際にはもう少し短い時間で歩いていますが)の日帰り山行を行う必要があります。日本百名山登頂を目指すうえで、最難関の山の一つに挙げられています。
海外旅行と本格登山とジャンヌが違うため、モンサントと平ヶ岳の両者を訪れて二つの岩を見比べたことのある人は、他にはいないのではないだろうか。
来た道を戻り、村の見学を行いました。
岩と家が一体となっています。
通常でしたら岩を削ってしまいスペースを確保して家を建てると思うのですが、岩には手を付けないというのがここのやり方のようです。
脇道をのぞきながら山を下っていきました。
途中に展望広場が設けられていました。
家と比べても岩の巨大さが判ります。
屋根から岩が突き出ています。
坂の途中に洞窟と標識がつけられた入口がありました。観光客にも開放されているようなのでのぞいたみました。
岩の隙間を利用して小部屋が設けられていました。
村には土産物店も設けられていました。
店先に飾られた布製ののっぺらぼうの人形は「マラフォナシュ」と呼ばれる豊穣神の象徴です。子宝を願う新婚夫婦のベッドの下に置かれます。
このような顔無し人形は、日本の飛騨で作られる伝統民芸品の「さるぼぼ」があります。母親が娘の縁結び・安産・夫婦円満を願い、また、子ども達が健やかに育つことを願い、このさるぼぼを作り与えたと言われています。
村のシンボルになっているルカーノ塔。塔の上の銀の雄鶏は、1938年に『ポルトガルで最もポルトガルらしい村』に選出された際に寄贈された賞品です。
昼食の入ったレストランの窓の外にも大岩が鎮座していました。
駐車場の広場には大砲が置かれていました。
戦いのことを考えれば守りやすいでしょうけど、生活するのは大変でしょうね。
斜面の下の方にも大岩が転がっていました。
村ではネコにも出会うことができました。
最近では自然との共生が叫ばれるけれど、大岩を損なわずに生活するモンサントはこの点で考えさせられます。住みやすい村とは感じられませんけどね。
建物の中を覗くと屋根は無くなっていました。
この山を中心にするトレッキングコースが設けられているようです。踏み跡を辿って大岩の転がる高みに進んでみました。
下り斜面にかかる所で、崖から転げ落ちそうに、球状の大岩が平らな岩の上に乗っているのを見つけました。
なかなかの奇観なので、この岩に名前が付けられているかと思ってネットで画像を探してみましたが、見つかりませんでした。
これと同じような岩が尾瀬ヶ原の北に位置する平ヶ岳にあり、玉子岩と呼ばれています。平ヶ岳の標高は2141mでさほど高くはありませんが、アプローチが長く山頂部に宿泊施設もないため、登り7時間、下り5時間の長丁場(実際にはもう少し短い時間で歩いていますが)の日帰り山行を行う必要があります。日本百名山登頂を目指すうえで、最難関の山の一つに挙げられています。
海外旅行と本格登山とジャンヌが違うため、モンサントと平ヶ岳の両者を訪れて二つの岩を見比べたことのある人は、他にはいないのではないだろうか。
来た道を戻り、村の見学を行いました。
岩と家が一体となっています。
通常でしたら岩を削ってしまいスペースを確保して家を建てると思うのですが、岩には手を付けないというのがここのやり方のようです。
脇道をのぞきながら山を下っていきました。
途中に展望広場が設けられていました。
家と比べても岩の巨大さが判ります。
屋根から岩が突き出ています。
坂の途中に洞窟と標識がつけられた入口がありました。観光客にも開放されているようなのでのぞいたみました。
岩の隙間を利用して小部屋が設けられていました。
村には土産物店も設けられていました。
店先に飾られた布製ののっぺらぼうの人形は「マラフォナシュ」と呼ばれる豊穣神の象徴です。子宝を願う新婚夫婦のベッドの下に置かれます。
このような顔無し人形は、日本の飛騨で作られる伝統民芸品の「さるぼぼ」があります。母親が娘の縁結び・安産・夫婦円満を願い、また、子ども達が健やかに育つことを願い、このさるぼぼを作り与えたと言われています。
村のシンボルになっているルカーノ塔。塔の上の銀の雄鶏は、1938年に『ポルトガルで最もポルトガルらしい村』に選出された際に寄贈された賞品です。
昼食の入ったレストランの窓の外にも大岩が鎮座していました。
駐車場の広場には大砲が置かれていました。
戦いのことを考えれば守りやすいでしょうけど、生活するのは大変でしょうね。
斜面の下の方にも大岩が転がっていました。
村ではネコにも出会うことができました。
最近では自然との共生が叫ばれるけれど、大岩を損なわずに生活するモンサントはこの点で考えさせられます。住みやすい村とは感じられませんけどね。