二日目の観光は、國立故宮博物院から始まりました。
國立故宮博物院は、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと共に世界の四大美術館といわれるといいます。フィレンツェのウフィツィ美術館、マドリッドのプラド美術館は入らないのかという疑問も出てきますが、それは別問題としておきましょう。
國立故宮博物院は、台北観光のハイライトになっています。
國立故宮博物院の成立には、複雑な歴史があります。
清朝最後の皇帝のラストエンペラーこと溥儀が紫禁城宮殿から退去した後、清朝が持っていた美術品を紫禁城内で展示したのが、故宮博物院の始まりです。満州に駐留していた日本軍が中国北部に勢力を延ばしてきたため、蒋介石の国民政府は、重要な美術品を南方の南京に疎開させます。日本軍が南京に侵攻してきた際には、さらに四川省へと運ばれます。日本の敗戦後に、美術品は北京に戻されますが、国共戦争が激化し、大勢不利となった中華民国政府は、故宮博物院から2972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んでしまいます。これを展示したのが、台北市の國立故宮博物院です。故宮博物院は、北京と台北、さらに混乱のため北京に戻すことができなかった所蔵品をおさめた南京博物院に分かれていることになります。
貴重な美術品は、すべて台湾に運ばれてしまったという状態ですが、文化革命という嵐から守られたという点では、幸運であったというべきでしょう。
開館の9時と同時に入館しました。
館内は撮影禁止のため、展示物の写真はありません。
Webから拾ってきた写真です。
國立故宮博物院の目玉というべきは、この「翠玉白菜」でしょう。翡翠を彫刻して作られた白菜の玉器です。白や緑の葉は、玉の白い部分と緑の部分を利用して作られています。緑の葉の部分には、キリギリスとイナゴがのっています。
光緒帝の妃であった瑾妃の寝宮であった永和宮に安置されておりました。白菜は純血、二匹の虫は多産を現わし、瑾妃の嫁入り道具であったと言われています。
これも有名な肉形石。
青磁のような陶磁器となると、その価値を見極められず、なんでも探偵団の鑑定結果に取り上げてもらいたくなりますね。おそらく評定価は、何桁にも及ぶのでしょう。
後ろが透けるほど薄い象牙に透かし彫りが施された細工物や、壺の中にもう一つの壺がある焼き物など、一見して驚かされるものも沢山ありました。
最初に上階の「翠玉白菜」を見てからめぼしいものを見ながら階下に下ってくると、大混雑になっていました。
國立故宮博物院は、開館と同時に入館し、まずは「翠玉白菜」などの玉器の置かれた部屋から見始めることが、一番の作戦だと思います。
國立故宮博物院は、これまで訪れたことのある世界の美術館のうちで、混雑度はナンバーワンでした。
テラスに出ると、記念写真の人々で賑わっていました。
前庭を眺めたところ。
テラスの上段から見た美術館。
美術館の脇の建物は、京劇を上演する劇場のようです。
國立故宮博物院は、丸一日をかけてゆっくりと見学したい所です。
國立故宮博物院は、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと共に世界の四大美術館といわれるといいます。フィレンツェのウフィツィ美術館、マドリッドのプラド美術館は入らないのかという疑問も出てきますが、それは別問題としておきましょう。
國立故宮博物院は、台北観光のハイライトになっています。
國立故宮博物院の成立には、複雑な歴史があります。
清朝最後の皇帝のラストエンペラーこと溥儀が紫禁城宮殿から退去した後、清朝が持っていた美術品を紫禁城内で展示したのが、故宮博物院の始まりです。満州に駐留していた日本軍が中国北部に勢力を延ばしてきたため、蒋介石の国民政府は、重要な美術品を南方の南京に疎開させます。日本軍が南京に侵攻してきた際には、さらに四川省へと運ばれます。日本の敗戦後に、美術品は北京に戻されますが、国共戦争が激化し、大勢不利となった中華民国政府は、故宮博物院から2972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んでしまいます。これを展示したのが、台北市の國立故宮博物院です。故宮博物院は、北京と台北、さらに混乱のため北京に戻すことができなかった所蔵品をおさめた南京博物院に分かれていることになります。
貴重な美術品は、すべて台湾に運ばれてしまったという状態ですが、文化革命という嵐から守られたという点では、幸運であったというべきでしょう。
開館の9時と同時に入館しました。
館内は撮影禁止のため、展示物の写真はありません。
Webから拾ってきた写真です。
國立故宮博物院の目玉というべきは、この「翠玉白菜」でしょう。翡翠を彫刻して作られた白菜の玉器です。白や緑の葉は、玉の白い部分と緑の部分を利用して作られています。緑の葉の部分には、キリギリスとイナゴがのっています。
光緒帝の妃であった瑾妃の寝宮であった永和宮に安置されておりました。白菜は純血、二匹の虫は多産を現わし、瑾妃の嫁入り道具であったと言われています。
これも有名な肉形石。
青磁のような陶磁器となると、その価値を見極められず、なんでも探偵団の鑑定結果に取り上げてもらいたくなりますね。おそらく評定価は、何桁にも及ぶのでしょう。
後ろが透けるほど薄い象牙に透かし彫りが施された細工物や、壺の中にもう一つの壺がある焼き物など、一見して驚かされるものも沢山ありました。
最初に上階の「翠玉白菜」を見てからめぼしいものを見ながら階下に下ってくると、大混雑になっていました。
國立故宮博物院は、開館と同時に入館し、まずは「翠玉白菜」などの玉器の置かれた部屋から見始めることが、一番の作戦だと思います。
國立故宮博物院は、これまで訪れたことのある世界の美術館のうちで、混雑度はナンバーワンでした。
テラスに出ると、記念写真の人々で賑わっていました。
前庭を眺めたところ。
テラスの上段から見た美術館。
美術館の脇の建物は、京劇を上演する劇場のようです。
國立故宮博物院は、丸一日をかけてゆっくりと見学したい所です。