発見のモニュメントに続いて、その背後に広がるジェロニモス修道院を見学しました。
ジェロニモス修道は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また新天地開拓へ乗り出していく航海の安全を祈って、マヌエル1世が1502年に着工し、海外からもたらされた富をつぎこみ、約1世紀をかけて完成されました。
巨大な建物ですが、向かって左は海洋博物館になっています。
向かって右側にはサンタ・マリア教会があります。
スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって1518年に造られた南門。
聖マリアの像を中心に24人の聖人や高位聖職者の像が並んでいます。
門の中央にはエンリケ航海王子の像が置かれています。
西門からサンタ・マリア教会に入場します。
教会に入って左手には、インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの棺が置かれています。棺には帆船や胡椒の実が描かれています。
スペイン王が派遣したコロンブスによってアジア(インドと思ったのは実際にはアメリカ大陸でしたが)への西回り航路が発見されたことにより、スペインとポルトガルの両者は1494年年のトルデシリャス条約で、アフリカ西岸から西をスペイン、東をポルトガルの権利とする協定を成立させました。そのためポルトガルは東回りでアジアに到達することを急がねばならなくなり、バルトロメウ=ディアスによる喜望峰到達などによってインド航路開拓を進めていきました。マヌエル1世によって派遣されたヴァスコ=ダ=ガマは、ついに1498年5月20日にインド西岸のカリカットに到達し、ポルトガルとインドを結ぶインド航路の開拓がなされました。これによって香辛料貿易の膨大な利益がポルトガルにもたらされるようになり、香辛料貿易の中心地もイスラーム商人経由のヴェネツィアからリスボンへと変化しました。
世界史の教科書的にはヴァスコ=ダ=ガマの功績をこのように書かれますが、インド航路の開拓といってもイスラーム商人が行き来していたところにヨーロッパ人として初めて到達したというもので、交易がうまくいかないと大砲をぶっぱなして占領するというものでした。どうもポルトガルで大航海時代の繁栄ぶりを見学すると、釈然としないものを感じてしまいます。新大陸におけるスペインの植民都市の繁栄ぶりを見ても同じ感じが浮かんできますが。
右手に向かい合って、バスコ・ダ・ガマの偉業を一大叙事詩としてうたいあげたポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスの棺が置かれています。こちらの棺には筆と竪琴が彫り込まれています。
堂内にはヤシの木を模した高い柱が設けられています。
ガウディが設計したバルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂も堂内を森と見立てており、二つの教会は古典的と現代風の違いはあるものの似た感じがしました。
ジェロニモス修道は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また新天地開拓へ乗り出していく航海の安全を祈って、マヌエル1世が1502年に着工し、海外からもたらされた富をつぎこみ、約1世紀をかけて完成されました。
巨大な建物ですが、向かって左は海洋博物館になっています。
向かって右側にはサンタ・マリア教会があります。
スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって1518年に造られた南門。
聖マリアの像を中心に24人の聖人や高位聖職者の像が並んでいます。
門の中央にはエンリケ航海王子の像が置かれています。
西門からサンタ・マリア教会に入場します。
教会に入って左手には、インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの棺が置かれています。棺には帆船や胡椒の実が描かれています。
スペイン王が派遣したコロンブスによってアジア(インドと思ったのは実際にはアメリカ大陸でしたが)への西回り航路が発見されたことにより、スペインとポルトガルの両者は1494年年のトルデシリャス条約で、アフリカ西岸から西をスペイン、東をポルトガルの権利とする協定を成立させました。そのためポルトガルは東回りでアジアに到達することを急がねばならなくなり、バルトロメウ=ディアスによる喜望峰到達などによってインド航路開拓を進めていきました。マヌエル1世によって派遣されたヴァスコ=ダ=ガマは、ついに1498年5月20日にインド西岸のカリカットに到達し、ポルトガルとインドを結ぶインド航路の開拓がなされました。これによって香辛料貿易の膨大な利益がポルトガルにもたらされるようになり、香辛料貿易の中心地もイスラーム商人経由のヴェネツィアからリスボンへと変化しました。
世界史の教科書的にはヴァスコ=ダ=ガマの功績をこのように書かれますが、インド航路の開拓といってもイスラーム商人が行き来していたところにヨーロッパ人として初めて到達したというもので、交易がうまくいかないと大砲をぶっぱなして占領するというものでした。どうもポルトガルで大航海時代の繁栄ぶりを見学すると、釈然としないものを感じてしまいます。新大陸におけるスペインの植民都市の繁栄ぶりを見ても同じ感じが浮かんできますが。
右手に向かい合って、バスコ・ダ・ガマの偉業を一大叙事詩としてうたいあげたポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスの棺が置かれています。こちらの棺には筆と竪琴が彫り込まれています。
堂内にはヤシの木を模した高い柱が設けられています。
ガウディが設計したバルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂も堂内を森と見立てており、二つの教会は古典的と現代風の違いはあるものの似た感じがしました。