遺跡内を一周して、先ほどは前を素通りしたスルタン・サンジャール廟に戻ってきました。
スルタン・サンジャール廟は、トルコ系のセルジューク朝の最後の王の墓が祀られている廟です。セルジューク朝は、11~12世紀に現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に支配し、メルブに都を置きました。
廟はきれいに修復されていますが、偉大なる祖先の偉大なる王の墓ということで、現在のトルコ共和国が大々的な援助をしました。
正方形の建物の上にドームが載っています。
内部の中央には王の墓が置かれていました。
霊廟の装飾は、典型的な初期のセルジュク様式で作られ、内部の漆喰と幾何学的なレンガの装飾が施されています。
このスルタン・サンジャール廟には、見てはいけないという時間に后を見てしまったため、后は鳥になって飛んで行ってしまったという「日本の鶴の恩返し」と同じ伝説が残されています。天井には鳥になって飛んで行ってしまったという穴が開いているといいますが、写真の右側の穴でしょうか。
メルブ遺跡の見学の最後に、ムハンマド・イブン・ザイド廟を訪れました。
向かって左がムハンマド・イブン・ザイド廟。
向かって右手にも建物の跡が見られます。
これは、管理人の小屋のようです。
ムハンマド・イブン・ザイド廟。
ムハンマド・イブン・ザイドは、8世紀の人で、預言者ムハンマドから5代目の子孫とも言われています。廟は12世紀セルジューク朝の時代に建てられ、現在の建物は20世紀に大幅に改修されたものです。
前室。
奥の部屋の中央にはムハンマド・イブン・ザイドの墓が置かれていました。
ドームになっている天井。
廟の前の木には、祈願の印なのか布片が結び付けられていました。
大キズカラと小キズカラを眺めながら遺跡を後にしました。
少し移動すると、車窓から再び遺跡が見えてきました。アブドゥラ-カーンカラあるいはバイラム-アリ-カーンカラと呼ばれる地区のようです。この一帯までは、修復の手が及んでいないようです。
城壁の間近まで市街地が迫っていました。
メルブ遺跡は、シルクロードのオアシス都市として、見ごたえのある遺跡でした。トルクメニスタンで見学した遺跡のうちで、ここが一番気に入りました。
スルタン・サンジャール廟は、トルコ系のセルジューク朝の最後の王の墓が祀られている廟です。セルジューク朝は、11~12世紀に現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に支配し、メルブに都を置きました。
廟はきれいに修復されていますが、偉大なる祖先の偉大なる王の墓ということで、現在のトルコ共和国が大々的な援助をしました。
正方形の建物の上にドームが載っています。
内部の中央には王の墓が置かれていました。
霊廟の装飾は、典型的な初期のセルジュク様式で作られ、内部の漆喰と幾何学的なレンガの装飾が施されています。
このスルタン・サンジャール廟には、見てはいけないという時間に后を見てしまったため、后は鳥になって飛んで行ってしまったという「日本の鶴の恩返し」と同じ伝説が残されています。天井には鳥になって飛んで行ってしまったという穴が開いているといいますが、写真の右側の穴でしょうか。
メルブ遺跡の見学の最後に、ムハンマド・イブン・ザイド廟を訪れました。
向かって左がムハンマド・イブン・ザイド廟。
向かって右手にも建物の跡が見られます。
これは、管理人の小屋のようです。
ムハンマド・イブン・ザイド廟。
ムハンマド・イブン・ザイドは、8世紀の人で、預言者ムハンマドから5代目の子孫とも言われています。廟は12世紀セルジューク朝の時代に建てられ、現在の建物は20世紀に大幅に改修されたものです。
前室。
奥の部屋の中央にはムハンマド・イブン・ザイドの墓が置かれていました。
ドームになっている天井。
廟の前の木には、祈願の印なのか布片が結び付けられていました。
大キズカラと小キズカラを眺めながら遺跡を後にしました。
少し移動すると、車窓から再び遺跡が見えてきました。アブドゥラ-カーンカラあるいはバイラム-アリ-カーンカラと呼ばれる地区のようです。この一帯までは、修復の手が及んでいないようです。
城壁の間近まで市街地が迫っていました。
メルブ遺跡は、シルクロードのオアシス都市として、見ごたえのある遺跡でした。トルクメニスタンで見学した遺跡のうちで、ここが一番気に入りました。