額済納(エチナ)博物館の見学後、昼食をとってから今回の旅のハイライトといえる黒水城(カラホト)の見学に向かいました。朝に居延海観光で使った四駆自動車で向かうのかと思ったら、ここまで乗ってきた観光バスを使いました。
現地の道路標識では黒城と書かれていました。
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シルクロードへの憧れをかきたてたNHK「シルクロード」の第4集でも「幻の黒水城(カラホト)」が取り上げられており、強烈な印象を与えてくれました。四駆自動車からラクダに乗り換え、六分儀で位置の確認を行って移動するというまさに秘境への旅でした。
現在の遺跡の姿はどうなのだろうと期待と不安が高まりました。
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酒泉への幹線道路を離れてほどなく、城壁が見えてきました。まさかこれが黒水城ではないよねと思いました。幸い、これは遺跡群の入場口でした。
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入場口から先も、かなりでこぼこしていましたが、舗装道路が続きました。
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周囲には、凹凸の大きな砂漠が広がっていました。
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向かって右手に紅城が現れました。ここは後で見学することになりました。
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紅城の向かいには、枯れた胡楊の林である「怪樹林」がありました。ここも後で見学。
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さらに砂漠の中を進んでいきました。
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左手に現れたのは、「大同城」。ここは車窓から見学するだけでした。
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大同城は、五代十国時代の北漢による城砦都市で、唐の時代にかけて拡張されました。
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道路の先には、蜃気楼が現れていました。天候は、砂嵐とまではいかないものの、風によって砂が舞うという状態でした。
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遺跡の入口から20分ほど走ってようやく黒水城の仏塔が現れました。
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NHK「シルクロード」でも、黒水城では仏塔が最初に姿を現しました。
このビデオと比べると、現在の仏塔は修復されて数が増えています。
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黒水城(カラホト)の入り口。
黒水城の入り口。ここで車を降りました。
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遺跡内に入ると、遊歩道が整備されており、その向こうに長々と黒水城が横たわっていました。
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モンゴルの言葉で、カラは黒く恐ろしい所、カラは城を現します。
黒水城は、西夏によって1226年に造られましたが、モンゴルの西夏への6度目、最後の攻撃になる1226年2月から1227年6月にかけての侵攻によって落城しました。北元時代には、明によって攻略されましたが、ティムール軍の侵攻に備えて1372年に嘉峪関が建設されるとともに放棄されました。
その後黒水城は砂に埋もれ、20世紀初頭のロシアの探検家ゴズロフの中央アジア探検で再発見されて発掘が行われました。さらに、スタインやヘディンらも調査を行っています。
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黒水城で一番に目が引き付けられるのは、北西の隅にある仏塔です。
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また、南西の場外には小さなモスクが建てられています。
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しばらくは、遊歩道を歩く必要があります。
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城壁は半ば砂に埋もれています。
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西門から入場します。
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南に向かって延びる城壁。
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城門手前は、砂が溜まって盛り上がり、遊歩道は埋もれていました。
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西門の入り口部は、日本の山城でいうなら虎口となっており、桝形状の広場が設けられ、通路は左に曲がって続いていました。頃水城は、戦いに備えた城砦であったことが判ります。
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細い通路を抜けると城内に入ることができました。
現地の道路標識では黒城と書かれていました。

シルクロードへの憧れをかきたてたNHK「シルクロード」の第4集でも「幻の黒水城(カラホト)」が取り上げられており、強烈な印象を与えてくれました。四駆自動車からラクダに乗り換え、六分儀で位置の確認を行って移動するというまさに秘境への旅でした。
現在の遺跡の姿はどうなのだろうと期待と不安が高まりました。

酒泉への幹線道路を離れてほどなく、城壁が見えてきました。まさかこれが黒水城ではないよねと思いました。幸い、これは遺跡群の入場口でした。

入場口から先も、かなりでこぼこしていましたが、舗装道路が続きました。

周囲には、凹凸の大きな砂漠が広がっていました。

向かって右手に紅城が現れました。ここは後で見学することになりました。

紅城の向かいには、枯れた胡楊の林である「怪樹林」がありました。ここも後で見学。

さらに砂漠の中を進んでいきました。

左手に現れたのは、「大同城」。ここは車窓から見学するだけでした。

大同城は、五代十国時代の北漢による城砦都市で、唐の時代にかけて拡張されました。

道路の先には、蜃気楼が現れていました。天候は、砂嵐とまではいかないものの、風によって砂が舞うという状態でした。


遺跡の入口から20分ほど走ってようやく黒水城の仏塔が現れました。

NHK「シルクロード」でも、黒水城では仏塔が最初に姿を現しました。
このビデオと比べると、現在の仏塔は修復されて数が増えています。

黒水城(カラホト)の入り口。
黒水城の入り口。ここで車を降りました。

遺跡内に入ると、遊歩道が整備されており、その向こうに長々と黒水城が横たわっていました。

モンゴルの言葉で、カラは黒く恐ろしい所、カラは城を現します。
黒水城は、西夏によって1226年に造られましたが、モンゴルの西夏への6度目、最後の攻撃になる1226年2月から1227年6月にかけての侵攻によって落城しました。北元時代には、明によって攻略されましたが、ティムール軍の侵攻に備えて1372年に嘉峪関が建設されるとともに放棄されました。
その後黒水城は砂に埋もれ、20世紀初頭のロシアの探検家ゴズロフの中央アジア探検で再発見されて発掘が行われました。さらに、スタインやヘディンらも調査を行っています。

黒水城で一番に目が引き付けられるのは、北西の隅にある仏塔です。

また、南西の場外には小さなモスクが建てられています。

しばらくは、遊歩道を歩く必要があります。

城壁は半ば砂に埋もれています。


西門から入場します。

南に向かって延びる城壁。

城門手前は、砂が溜まって盛り上がり、遊歩道は埋もれていました。

西門の入り口部は、日本の山城でいうなら虎口となっており、桝形状の広場が設けられ、通路は左に曲がって続いていました。頃水城は、戦いに備えた城砦であったことが判ります。

細い通路を抜けると城内に入ることができました。