ブランバナン遺跡群の見学を終えてボロブドゥール遺跡に向かいました。
途中の車窓からは、イスラム教のモスクを見ることができました。ブランバナンはヒンドゥー教、ボロブドゥールは仏教に基づく寺院ですが、現在のインドネシアではイスラム教徒がほとんどを占めています。
途中の集落では、石の彫刻を売っている店が並んでいました。セウ寺院で見た太鼓原のクベラ神も置かれていました。
この店では、仏像とガネーシャ像が並んでいました。違う宗教の神なのですがね。
街の市場。
ボロブドゥールの前に、ムンドゥッ寺院を見学しました。
ジョグジャカルタからボロブドゥールへはかつて直線的な参道が設けられていて、その途中にはムンドゥッ寺院とパウォン寺院が設けられました。
ムンドゥッ寺院は八世紀終わりから九世紀始まり頃に造られました。
ここでの見どころは、仏塔内部に安置された三体の仏像です。
正面に置かれているのは、釈迦牟尼仏。高さは3mで、結んでいるのは、初転法輪印。ジャワ芸術の最高傑作と言われています。
左の脇侍は、観世音菩薩で、高さは2.5m。
右の脇侍は、金剛手菩薩で、高さは2.5m。
これらは、インドのグプタ美術の影響を受けているといいます。スリランカで見た上座仏教の像はいくつあっても釈迦如来ということで、いささか単調に思ってしまうのですが、ジャワ島で見る大乗仏教の像は変化があって親しみを持って見ることができます。
ムンドゥッ寺院の壁にも、見事なレリーフが飾られています。これは鬼子母神図。子供と安産の守り神として日本でも信仰されていますね。
毘沙門天図。インド神話のクベーラを前身として、財宝神とされています。
天人のレリーフ。
入口の階段にはジャワ島の他の遺跡と同様にマカラ像が置かれていますが、その脇の壁に置かれているジャータカのレリーフも見どころになっています。
ジャータカは、本生譚とも呼ばれ、主には釈迦仏の前世による因縁をあらわした説話です。紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になっており、そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられています。日本の今昔物語集やイソップ寓話と同じ構成を持っています。
これは、「亀と白鳥」の話。
山奥の池に一匹のカメが住んでいました。そこへ、遠くの高原から、二羽の白鳥が飛んできました。おしゃべりが大好きなカメは、白鳥たちと晦日しゃべって、すっかり仲良くなりました。高原に帰る日、白鳥は言いました。「高原はすてきだよ。いっしょに来ないかい?」「行きたいなあ。でも、無理だよ。ぼくは飛べないもの」「連れていってあげるよ。この木の枝の真ん中をきみが咥え、両端をぼくたちが咥えて、飛んでいくんだ。途中で口を開けたら、絶対にだめだよ」「そんなバカなことするもんか」カメは自信まんまんで答えると、枝を咥えました。白鳥たちが枝の両端を咥えて、大きくはばたきました。カメの体は、ふわーっと空たかく、うきあがりました。それを見た村の子供たちが、おお騒ぎをはじめました。「へんなものが飛んでるよ!」「白鳥が枝にカメをぶらさげて、運んでるんだ!」「どこへ行くんだろう?」おしゃべりなカメは黙っていられなくなって「高原へ行くんだよ」と言おうとしました。そして、地面に落ちてまっぷたつに割れてしまったのです。
昔むかし、お釈迦様が王様の教育係の大臣に生まれてきた時、王様はとてもおしゃべりで、いつも自分のおしゃべりに夢中で人の話を聞こうとしないので、それをいさめようとこの話をしました。
「オウムとマンゴーの実」の話。
少々長くなりますが、ジャータカの例としてあらすじを載せておきます。
釈迦が王子であった時の妻であったヤソーダラーは、愛する夫のもとにいたいと思い出家していた。ある時、息子のラーフラがヤソーダラーのもとを訪れると、病に臥せっていた。容体を聞くと、「この腹痛はマンゴーの果汁を飲んだら治るはずだが、今は托鉢で食を得る身、どうして手に入れられよう。」という。ラーフラが師のサーリブッダに相談すると、翌日二人で王のもとを訪れることになった。王はサーリブッダの顔を見ると、大いに喜んでマンゴーの実を出してもてなし、これをヤソーダラーに持ち帰ることになった。マンゴーによってヤソーダラーの腹痛を直すことができた。
祇園精舎で修行僧がこの事件を話題にしていると、釈尊がやってきて、「これは不思議なことではありません。前世でもサーリブッダがラーフラの母のヤソーダラーにマンゴーを与えたことがあるのです。」といい、前世の物語を始めた。
釈尊が出家して修行し仙人になってバラーナシの果樹園にとどまると、その名声を聞きつけて多くの弟子が集まってきた。すると、釈尊の威徳のために天界の帝釈天の宮殿が振動した。驚いた帝釈天は、仙人を都から追い出すために、王の心の平安を乱そうとして王妃の夢枕に立って「天の果実に値する甘いマンゴーを食べたなら。きっと聖王生むだろう。王にねだって求めなさい」と吹き込んだ。翌日、王妃から話を聞いた王は、家臣を果樹園に向かわせたが、たわわに実っていたマンゴーは全て無くなっていた。帝釈天は、さらにマンゴーが無くなったのは、果樹園にいる仙人の仕業であるという噂を流した。
仙人らは都から追い出されたが、その後も王妃は寝込んだままになってしまった。王がバラモンに「天界の果実のようなマンゴーはどこにあるのか」尋ねると、「ヒマラヤの奥地の黄金の洞窟にあり、オウムならそこに行くことができる」という返事であった。
そこで宮殿で飼われていたオウムが天界のマンゴーを持ち帰る旅に出かけることになった。ヒマラヤの洞窟に住むオウムによって黄金の洞窟の場所は判ったものの、そこに実るマンゴーは毘沙門天の食べ物で、鬼が番をしているという。オウムは黄金の洞窟に忍び込むが、あと一歩ということで鬼に捕まってしまう。なんとか説得して、殺されるのは免れたものの、マンゴーにはすべて番号がふってあるという。ここ以外にマンゴーを手に入れられる場所として、黄金の山にいる苦行僧のジョーティラサは毘沙門天のお気に入りで、彼のもとには四個のマンゴーが届けられる。彼に頼んでみてはと教えてもらった。
オウムが苦行僧を訪れて事情を離すと、オウムの真心に感動し、二つは自分が食べ、一つをオウムに食べさせ、一つをオウムの首に括り付けてくれた。オウムが持ち帰ったマンゴーを王妃に食べさせると欲望は満たされて病は治ったが、結局子供は生まれなかった。
「その時の王妃はヤソーダラーで、オウムはラーフラ、苦行僧はサーリブッダで、仙人は私の前世の姿であった」と釈尊は話を締めくくった。
レリーフの右半分は、オウムが苦行僧に会う場面。左手は、オウムがマンゴーを持ち帰った場面です。
残念ながら、他のレリーフの物語は判りませんでした。
外壁にも仏のレリーフが飾られていました。
回廊を一周して、外壁のレリーフを眺めました。
ムンドゥ寺院の入口脇には僧院が設けられていたので、中をのぞいてみました。
ここの庭にも、サラの木があり、花が咲いていました。
釈迦が生まれた所にあった無憂樹、釈迦が悟りを開いた所にあった菩提樹、釈迦が亡くなった所にあった沙羅双樹は、仏教三大聖樹とされています。インドネシアの仏教寺院にサラの木があって不思議はないのですが、本家のインドでは、白い花を咲かせるフタバガキ科のサラの木が沙羅の木とされ、スリランカではホウガンボクが沙羅とされています。木の種類に関しては、スリランカ経由で伝わったものと思われますが、ボロブドゥール遺跡はスリランカと異なる大乗仏教なので、疑問が残ります。
ホウガンボクの名前の由来の大きな実もなっていました。
続いてパウォン寺院へ。なかなかボロブドゥールへたどり着けません。
途中の車窓からは、イスラム教のモスクを見ることができました。ブランバナンはヒンドゥー教、ボロブドゥールは仏教に基づく寺院ですが、現在のインドネシアではイスラム教徒がほとんどを占めています。
途中の集落では、石の彫刻を売っている店が並んでいました。セウ寺院で見た太鼓原のクベラ神も置かれていました。
この店では、仏像とガネーシャ像が並んでいました。違う宗教の神なのですがね。
街の市場。
ボロブドゥールの前に、ムンドゥッ寺院を見学しました。
ジョグジャカルタからボロブドゥールへはかつて直線的な参道が設けられていて、その途中にはムンドゥッ寺院とパウォン寺院が設けられました。
ムンドゥッ寺院は八世紀終わりから九世紀始まり頃に造られました。
ここでの見どころは、仏塔内部に安置された三体の仏像です。
正面に置かれているのは、釈迦牟尼仏。高さは3mで、結んでいるのは、初転法輪印。ジャワ芸術の最高傑作と言われています。
左の脇侍は、観世音菩薩で、高さは2.5m。
右の脇侍は、金剛手菩薩で、高さは2.5m。
これらは、インドのグプタ美術の影響を受けているといいます。スリランカで見た上座仏教の像はいくつあっても釈迦如来ということで、いささか単調に思ってしまうのですが、ジャワ島で見る大乗仏教の像は変化があって親しみを持って見ることができます。
ムンドゥッ寺院の壁にも、見事なレリーフが飾られています。これは鬼子母神図。子供と安産の守り神として日本でも信仰されていますね。
毘沙門天図。インド神話のクベーラを前身として、財宝神とされています。
天人のレリーフ。
入口の階段にはジャワ島の他の遺跡と同様にマカラ像が置かれていますが、その脇の壁に置かれているジャータカのレリーフも見どころになっています。
ジャータカは、本生譚とも呼ばれ、主には釈迦仏の前世による因縁をあらわした説話です。紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になっており、そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられています。日本の今昔物語集やイソップ寓話と同じ構成を持っています。
これは、「亀と白鳥」の話。
山奥の池に一匹のカメが住んでいました。そこへ、遠くの高原から、二羽の白鳥が飛んできました。おしゃべりが大好きなカメは、白鳥たちと晦日しゃべって、すっかり仲良くなりました。高原に帰る日、白鳥は言いました。「高原はすてきだよ。いっしょに来ないかい?」「行きたいなあ。でも、無理だよ。ぼくは飛べないもの」「連れていってあげるよ。この木の枝の真ん中をきみが咥え、両端をぼくたちが咥えて、飛んでいくんだ。途中で口を開けたら、絶対にだめだよ」「そんなバカなことするもんか」カメは自信まんまんで答えると、枝を咥えました。白鳥たちが枝の両端を咥えて、大きくはばたきました。カメの体は、ふわーっと空たかく、うきあがりました。それを見た村の子供たちが、おお騒ぎをはじめました。「へんなものが飛んでるよ!」「白鳥が枝にカメをぶらさげて、運んでるんだ!」「どこへ行くんだろう?」おしゃべりなカメは黙っていられなくなって「高原へ行くんだよ」と言おうとしました。そして、地面に落ちてまっぷたつに割れてしまったのです。
昔むかし、お釈迦様が王様の教育係の大臣に生まれてきた時、王様はとてもおしゃべりで、いつも自分のおしゃべりに夢中で人の話を聞こうとしないので、それをいさめようとこの話をしました。
「オウムとマンゴーの実」の話。
少々長くなりますが、ジャータカの例としてあらすじを載せておきます。
釈迦が王子であった時の妻であったヤソーダラーは、愛する夫のもとにいたいと思い出家していた。ある時、息子のラーフラがヤソーダラーのもとを訪れると、病に臥せっていた。容体を聞くと、「この腹痛はマンゴーの果汁を飲んだら治るはずだが、今は托鉢で食を得る身、どうして手に入れられよう。」という。ラーフラが師のサーリブッダに相談すると、翌日二人で王のもとを訪れることになった。王はサーリブッダの顔を見ると、大いに喜んでマンゴーの実を出してもてなし、これをヤソーダラーに持ち帰ることになった。マンゴーによってヤソーダラーの腹痛を直すことができた。
祇園精舎で修行僧がこの事件を話題にしていると、釈尊がやってきて、「これは不思議なことではありません。前世でもサーリブッダがラーフラの母のヤソーダラーにマンゴーを与えたことがあるのです。」といい、前世の物語を始めた。
釈尊が出家して修行し仙人になってバラーナシの果樹園にとどまると、その名声を聞きつけて多くの弟子が集まってきた。すると、釈尊の威徳のために天界の帝釈天の宮殿が振動した。驚いた帝釈天は、仙人を都から追い出すために、王の心の平安を乱そうとして王妃の夢枕に立って「天の果実に値する甘いマンゴーを食べたなら。きっと聖王生むだろう。王にねだって求めなさい」と吹き込んだ。翌日、王妃から話を聞いた王は、家臣を果樹園に向かわせたが、たわわに実っていたマンゴーは全て無くなっていた。帝釈天は、さらにマンゴーが無くなったのは、果樹園にいる仙人の仕業であるという噂を流した。
仙人らは都から追い出されたが、その後も王妃は寝込んだままになってしまった。王がバラモンに「天界の果実のようなマンゴーはどこにあるのか」尋ねると、「ヒマラヤの奥地の黄金の洞窟にあり、オウムならそこに行くことができる」という返事であった。
そこで宮殿で飼われていたオウムが天界のマンゴーを持ち帰る旅に出かけることになった。ヒマラヤの洞窟に住むオウムによって黄金の洞窟の場所は判ったものの、そこに実るマンゴーは毘沙門天の食べ物で、鬼が番をしているという。オウムは黄金の洞窟に忍び込むが、あと一歩ということで鬼に捕まってしまう。なんとか説得して、殺されるのは免れたものの、マンゴーにはすべて番号がふってあるという。ここ以外にマンゴーを手に入れられる場所として、黄金の山にいる苦行僧のジョーティラサは毘沙門天のお気に入りで、彼のもとには四個のマンゴーが届けられる。彼に頼んでみてはと教えてもらった。
オウムが苦行僧を訪れて事情を離すと、オウムの真心に感動し、二つは自分が食べ、一つをオウムに食べさせ、一つをオウムの首に括り付けてくれた。オウムが持ち帰ったマンゴーを王妃に食べさせると欲望は満たされて病は治ったが、結局子供は生まれなかった。
「その時の王妃はヤソーダラーで、オウムはラーフラ、苦行僧はサーリブッダで、仙人は私の前世の姿であった」と釈尊は話を締めくくった。
レリーフの右半分は、オウムが苦行僧に会う場面。左手は、オウムがマンゴーを持ち帰った場面です。
残念ながら、他のレリーフの物語は判りませんでした。
外壁にも仏のレリーフが飾られていました。
回廊を一周して、外壁のレリーフを眺めました。
ムンドゥ寺院の入口脇には僧院が設けられていたので、中をのぞいてみました。
ここの庭にも、サラの木があり、花が咲いていました。
釈迦が生まれた所にあった無憂樹、釈迦が悟りを開いた所にあった菩提樹、釈迦が亡くなった所にあった沙羅双樹は、仏教三大聖樹とされています。インドネシアの仏教寺院にサラの木があって不思議はないのですが、本家のインドでは、白い花を咲かせるフタバガキ科のサラの木が沙羅の木とされ、スリランカではホウガンボクが沙羅とされています。木の種類に関しては、スリランカ経由で伝わったものと思われますが、ボロブドゥール遺跡はスリランカと異なる大乗仏教なので、疑問が残ります。
ホウガンボクの名前の由来の大きな実もなっていました。
続いてパウォン寺院へ。なかなかボロブドゥールへたどり着けません。