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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 オビドス

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ポルトガル旅行三日目は、リスボンを出発し、オビドス、バターリャ、ファティマを訪れて、ボルトへ向かいます。

リスボンから北上すること1時間ほどで、車窓から城壁に囲まれた街が見えてくるとオビドスに到着です。



バスを降りると家並みの上に城壁が見えました。



広い駐車場の奥に広がったいるのは、16世紀に造られた水道橋で全長3kmに及ぶといいます。



街の歴史はローマ時代の砦に遡ることができますが、1148年にアフォンソ・エンリケによってムーア人の支配が終わると、街の再建が行われました。1282年にオビドスを訪れたデイニス王はこの街に魅了され、王妃イザベルへの贈り物にしました。以後1834年までオビドスは代々の王妃の直轄地となりました。

この王女イザベルは慈悲深く、常日頃から国民への奉仕を怠らなかったことから次のようなが残されています。ある日、かごにパンを入れて貧しい人々を訪ねようと、王宮を出ようとしていた王妃を王が見とがめると、王妃は「これはバラが入っているのです」と王の追及をかわそうとした。王がかごにかけられた布を取ると、中には赤いバラが入っていたといいます。1625年、和解の美徳と慈悲により聖人として認定され、コインブラの守護聖人となっています。



簡単な説明を受けて、後は自由散策になりました。海外旅行のほとんどの場合、現地ガイドをつける必要があり、この場合は〇〇観光となり、付かない場合は〇〇散策となって、旅行の日程表にも区別して書かれています。安いツアーだとガイド代をけちる場合もあるでしょうけど、オビドスは小さな街なのでガイドを手配するのも難しいのでしょう。

城壁の中に進みます。



イスラム時代に造られた門のポルタ・ダ・ヴィラの内部は18世紀のアズレージョで飾られています。



道が二手に分かれましたが、高い方に向かっていきます。



道の分岐点に立つ柱は、ロカ岬で名前が挙がったポルトガルの詩人カモンイスを称える記念碑です。



メイン道路のディレイタ通りを進みます。



他の人の旅行記を見ると、オビドスは人気の観光地で通りが観光客で混みあっているようですが、この日は我々だけでした。



ディレイタ通りを進んでいくと、右手にサンタ・マリア広場が現れ、サンタ・マリア教会がありましたが、帰りによることにして先に進みました。



正面はサンティアゴ教会で、その背後には城砦が広がっています。



城壁に上がることにしました。



城壁の上の通路は狭くてすりも無いため、注意する必要はありましたが、素晴らしい眺めが広がっていました。



オビドスの城は、現在はポサーダになっています。ポサーダとは、歴史的な宮殿、修道院、お城などを改装して宿泊できるようにした、ポルトガル国営のホテルです。スペインのパラドールと同じですね。





スペインとの領土争いや後継者争いが続出した動乱の時代に造られたとあって、城砦としてはなかなか強固な造りです。





オビドスの魅力である小路の奥の眺めを確かめながら引き返すことにしました。



ほとんど人がいないのが、不思議な雰囲気を醸し出しています。







名物のジンジャ。ジンジャは、サクランボを漬け込んだ果実酒で、アルコール度数18~20%とワインより少し高め。土産物屋の店先で、チョコレートのカップに入れて飲ませてくれます。



サンタ・マリア教会を見ていくことにしました。



さほど大きくはない協会でしたが、壁一面のアズレージョが見事でした。











サンタ・マリア広場の道路脇にある柱は、15世紀に造られ、ペロニーニョ(罪人のさらし柱)と呼ばれます。罪人へのはみせしめのため、駕籠に入れてこの柱に吊るされました。



街の眺めを楽しみながら、バスに戻りました。



この後はバターリャに向かいました。

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