忠烈祠の見学を終え、龍山寺に向かいました。
車窓から見た東門(景福門)」。かつてあった台北城の門のひとつですが、現在の東門は国民党政府によって新たに中国北方の様式をもって再建されています 。台湾様式が残されているのは北門のみのようです。
総督府。日本統治時代の台湾総督府として1919年に完成したバロック様式の建物です。日本の敗戦後は、中国国民党政府が大陸から移り、内部を改装後総督府として用いています。
龍山寺は、清の乾隆帝の時代に建立された270年の歴史を持つ、台北で一番古いお寺です。
第二次大戦の際には、空襲によってお堂は焼失したそうですが、本尊は無事で、一層の信仰を受けるようになったようです。
入口の門の上に所狭しと飾られた像に圧倒されます。
これらの像が陶器製か見極められませんが、これと同じ人物、瑞獣、植物をモチーフとした小さな陶器製の像は、台湾交趾焼(こうちやき)と呼ばれています。台湾での公式な贈答品として用いられているようで、お土産屋でも小さな龍の像などを売っていましたが、結構な値段で買いませんでした。台湾には、19世紀に中国の広東より民芸として入ったようですが、おおおもとはベトナムのコーチシナ(交趾支那)に由来するようです。
入口には、お供えの花を売っていました。
境内に入ったところにまず現れるのは、前殿(三川殿)です。
左右の入口の左右には、龍の浮き彫が施された銅製の柱が立っています。
屋根の上には、数えきれないほどの像が置かれています。中央には、玉が置かれ、龍が狙っています。お馴染みのドラゴンボールです。
人物像は、それぞれの物語に由来しているのでしょう。
この龍は、四本爪をしているのがはっきりと見分けられます。
中国文化では、龍の爪は、階級によってはっきりと分かれています。皇帝の王宮では五本爪。神様の建物は四本爪、一般には三本爪と分かれています。圓山大飯店に置かれている金龍像は、三本爪でした。
入口からは、前殿に安置されている観音菩薩が顔をのぞかせていました。
前殿の内部です。大勢の人が、線香をあげてお祈りをしていました。手前にあるのは、占い棒で、無料でおみくじを引くことができます。結果の籤は、奥の箱からとることになります。
赤い蝋燭がお供えに使われています。
柱は、石製で、龍などの像が浮き彫されています。
本殿の眺め
本殿の前庭には、お供えをおく長テーブルが置かれています。
果物や花で色とりどりです。
これらのお供えは、お寺では処分しきれないため、欲しければ持って帰っても良いようです。
前庭を横から見たところ。
金色に輝く香呂は、上蓋をシルクハットにキュロット姿の人物像が支えています。かつて台湾がオランダに占領されていたことから、オランダ人を象徴しているのだそうです。
本殿には、本尊の観世音菩薩が祀られています。龍山寺の本家である、中国福建省泉州の龍山寺より1738年に贈られたものです。
脇には、守護神なのか、武将姿の像も置かれています。
ここの石柱にも見事な浮彫が施されています。
本殿までは仏教関係の神様が祀られていますが、後殿には道教関係の神様が祀られて、参拝者で賑わっています。
華陀が祀られています。三国志でもお馴染みの曹操の主治医にもなった名医ですね。曹操のもとを去ろうとして怒りにふれ、投獄されて拷問の末に殺害されてしまいます。曹操の持病の頭痛は華陀にしか直せなかったため、華陀の殺害を後悔することになりました。
病気回復を願う神様になっているようです。
中央には、媽祖(まそ、天上聖母)が祀られています。
もともとは航海の神様ですが、願い事が良くかなえられるということで、願い事一般を扱っています。
この媽祖信仰は中国南方で盛んで、媽閣廟(広東語 マーコッミウ)近くで、ここはどこかと尋ねたポルトガル人が地名と勘違いしたことからマカオの地名が生まれたともいいます。
子宝祈願や安産祈願は、この註生娘娘が担当します。
左端には、ご存じ関帝廟
三国志の漢羽が祀られ、そろばんを発明したといわれ、商売繁盛を担当しています。
月下老人
縁結びの神様です。若い男女が熱心にお参りしていました。
お堂の入口には、「赤い糸」がお持ち帰りようにおいてありました。
月下老人は、この世の男女の縁組み帖を持っており、袋に入れた赤い糸で夫婦になるはずの男女の足首を結び合わせて、一緒にするといいます。
龍山寺は、様々な願いを聞きうけてくれる身近な神様がおり、台湾の信仰の一旦をうかがい知ることができました。
車窓から見た東門(景福門)」。かつてあった台北城の門のひとつですが、現在の東門は国民党政府によって新たに中国北方の様式をもって再建されています 。台湾様式が残されているのは北門のみのようです。
総督府。日本統治時代の台湾総督府として1919年に完成したバロック様式の建物です。日本の敗戦後は、中国国民党政府が大陸から移り、内部を改装後総督府として用いています。
龍山寺は、清の乾隆帝の時代に建立された270年の歴史を持つ、台北で一番古いお寺です。
第二次大戦の際には、空襲によってお堂は焼失したそうですが、本尊は無事で、一層の信仰を受けるようになったようです。
入口の門の上に所狭しと飾られた像に圧倒されます。
これらの像が陶器製か見極められませんが、これと同じ人物、瑞獣、植物をモチーフとした小さな陶器製の像は、台湾交趾焼(こうちやき)と呼ばれています。台湾での公式な贈答品として用いられているようで、お土産屋でも小さな龍の像などを売っていましたが、結構な値段で買いませんでした。台湾には、19世紀に中国の広東より民芸として入ったようですが、おおおもとはベトナムのコーチシナ(交趾支那)に由来するようです。
入口には、お供えの花を売っていました。
境内に入ったところにまず現れるのは、前殿(三川殿)です。
左右の入口の左右には、龍の浮き彫が施された銅製の柱が立っています。
屋根の上には、数えきれないほどの像が置かれています。中央には、玉が置かれ、龍が狙っています。お馴染みのドラゴンボールです。
人物像は、それぞれの物語に由来しているのでしょう。
この龍は、四本爪をしているのがはっきりと見分けられます。
中国文化では、龍の爪は、階級によってはっきりと分かれています。皇帝の王宮では五本爪。神様の建物は四本爪、一般には三本爪と分かれています。圓山大飯店に置かれている金龍像は、三本爪でした。
入口からは、前殿に安置されている観音菩薩が顔をのぞかせていました。
前殿の内部です。大勢の人が、線香をあげてお祈りをしていました。手前にあるのは、占い棒で、無料でおみくじを引くことができます。結果の籤は、奥の箱からとることになります。
赤い蝋燭がお供えに使われています。
柱は、石製で、龍などの像が浮き彫されています。
本殿の眺め
本殿の前庭には、お供えをおく長テーブルが置かれています。
果物や花で色とりどりです。
これらのお供えは、お寺では処分しきれないため、欲しければ持って帰っても良いようです。
前庭を横から見たところ。
金色に輝く香呂は、上蓋をシルクハットにキュロット姿の人物像が支えています。かつて台湾がオランダに占領されていたことから、オランダ人を象徴しているのだそうです。
本殿には、本尊の観世音菩薩が祀られています。龍山寺の本家である、中国福建省泉州の龍山寺より1738年に贈られたものです。
脇には、守護神なのか、武将姿の像も置かれています。
ここの石柱にも見事な浮彫が施されています。
本殿までは仏教関係の神様が祀られていますが、後殿には道教関係の神様が祀られて、参拝者で賑わっています。
華陀が祀られています。三国志でもお馴染みの曹操の主治医にもなった名医ですね。曹操のもとを去ろうとして怒りにふれ、投獄されて拷問の末に殺害されてしまいます。曹操の持病の頭痛は華陀にしか直せなかったため、華陀の殺害を後悔することになりました。
病気回復を願う神様になっているようです。
中央には、媽祖(まそ、天上聖母)が祀られています。
もともとは航海の神様ですが、願い事が良くかなえられるということで、願い事一般を扱っています。
この媽祖信仰は中国南方で盛んで、媽閣廟(広東語 マーコッミウ)近くで、ここはどこかと尋ねたポルトガル人が地名と勘違いしたことからマカオの地名が生まれたともいいます。
子宝祈願や安産祈願は、この註生娘娘が担当します。
左端には、ご存じ関帝廟
三国志の漢羽が祀られ、そろばんを発明したといわれ、商売繁盛を担当しています。
月下老人
縁結びの神様です。若い男女が熱心にお参りしていました。
お堂の入口には、「赤い糸」がお持ち帰りようにおいてありました。
月下老人は、この世の男女の縁組み帖を持っており、袋に入れた赤い糸で夫婦になるはずの男女の足首を結び合わせて、一緒にするといいます。
龍山寺は、様々な願いを聞きうけてくれる身近な神様がおり、台湾の信仰の一旦をうかがい知ることができました。